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保健のあゆみ寄稿「健口から健康への視点」
令和元年度6月 帯広市学校保健会「保健のあゆみ」寄稿
「健口から健康への視点」
十勝歯科医師会帯広会 ますち歯科診療室 増地 裕幸
食足世平
この言葉は、NHK連続テレビ小説「まんぷく」のモデルとなったインスタントラーメンの父、安藤百福氏の言葉で、「食が足りてこそ世の中は平和になる」を意味する。人が健康で安心して暮らすには、「食」が基本という氏の信念を表している。
歯科医療の必要な視点には、「美味しく食べて健康へ」があり、そのための口腔環境、機能の維持・向上に近年ではよりスポットが当てられている。そこで今回その考え方と取り組みを紹介させていただく。
健口から見える事
最近、健康な口づくりが全身の健康に寄与するという考えが、少しずつ定着してきている。口からしっかりと食べられることは基本であるが、その他にも口腔ケアによる誤嚥性肺炎の予防、がん治療等での治療前後や糖尿病重症化予防のための口腔管理が、歯科医療者の担うべき責務とされる。
身体の一部に慢性の炎症状態があり、それが二次的に他の臓器に病変を作る事を「病巣感染」と呼ぶが、口腔内の炎症もその一役を担う存在であるともいわれている。また、小児期からの口腔環境の育成は、咀嚼・呼吸環境に大きく関係し、その後の発育にも影響する。
私たちは、健口から見える事をしっかりと見定め、「木も見て、森も見る」姿勢を忘れてはならない。
歯の形態から機能へ
現在、残存歯数と健康寿命との関係のエビデンス(図1)も認められるが、単に歯数の多さだけで無く、その歯が咀嚼運動の中でどう機能するかが重要となる。例えるなら、腕の良い職人さんの仕事(美味しく食べること)には、手入れの行き届いた道具と準備(噛める歯列と口腔周囲筋の筋力と唾液湿潤)が必要というところか。そこで歯科医療の現場では、患者さんの診査において、口腔の形態とともに機能を評価し、治療や指導に生かしていくスタンスとなっている。
オーラルフレイル
介護予防では、健康寿命の延伸のために健康の維持・増進が取り組まれているが、要介護の前段階をフレイル(身体の虚弱)としている。そこでフレイル予防が重視されるのだが、そのフレイルの兆しが口腔周囲の虚弱に認められることが多いとされ、その状態をオーラルフレイルと呼ぶ。
口腔の活力低下は、食が細くなる事での低栄養に関与し、身体の筋力や運動機能の低下にもつながる負のスパイラルとなる。そこで十勝歯科医師会では行政と協力して、地域住民へのオーラルフレイル予防の啓発活動を進めている。
口腔機能の診断へ
食事での食べこぼし、ものがうまく飲み込みづらい、滑舌の低下などの兆しでオーラルフレイルとみなされるが、それを自分事として考えるには個人差が存在する。なかなか本気にならないという事である。その中で平成30年度の診療報酬改訂で、新たな病名が保険収載された。高齢期の「口腔機能低下症」と小児期の「口腔機能発達不全症」である。
前者の口腔機能低下症は、オーラルフレイルが進んだ末の疾患とされ、機能検査によって診断し、改善のための治療・管理を行う。また後者の口腔機能発達不全症は、小児期の健康な身体づくりのための口腔環境・機能の獲得・育成に主眼を置いている。
口腔機能評価の実際
口腔機能低下を診断する際のいくつかの機能評価を紹介する。
- オーラルディアドコキネシス・・・舌口唇運動機能を滑舌で評価。
「パ」「タ」「カ」それぞれの言葉を5秒間連続で発語し、1秒間での発語回数を評価する。「パ」は口唇の俊敏性、「タ」は舌の食物のすり潰し能力、「カ」は舌の嚥下時の食物を喉への送りこみ能力を計る検査となる。
- 舌圧測定・・・舌の強さを評価。
- 咀嚼能力検査・・・噛み砕きの能力評価。
グルコセンサーという機器を使い、検査グミを20秒間咀嚼した後、吐き出した際の成分を測定する。歯の状態(形態や数、動揺度、義歯の適合)や咀嚼のための筋力、顎関節の状態によりその能力は左右される。
- 口腔乾燥測定・・・口腔粘膜の湿度を評価。
口腔水分計ムーカスという検査機器を2秒間舌表面に接触させ口腔内の乾燥度を計る。口腔乾燥が常態化すると、唾液の抗菌作用の減少による感染、味覚の低下、口臭、嚥下のスムーズさを欠くことで窒息や誤嚥のリスクとなる。そして加齢による口腔機能の低下や服用する薬剤の影響等で唾液の産生が低下したり、また口呼吸習慣で口腔内の水分が蒸発することに口腔乾燥は由来する。
- RSST反復唾液嚥下テスト・・・嚥下能力を評価。
30秒間に自分の唾液をごっくんと何回嚥下できるかを計るもので、誤嚥をスクリーニングする。2回未満には誤嚥リスクのチェックが付く。
口腔機能低下症への対応
前述の機能評価に対する対応例を紹介する。
舌口唇運動のトレーニングでは、「あいうべ体操」がある。あ・い・う・べと発語する中で、口唇を開く、口角を横に引く、口唇を突き出す、舌を前に出す動きを5~10回繰り返す。また機能評価に用いた「パ・タ・カ」の発語を運動として用いるのも推奨している。
舌の筋力トレーニングには、前述のあいうべ体操も有用だが、負荷をかけての筋力アップが必要な場合も多い。舌にスプーンや専用器具を押しつけると同時に、それに逆らうように踏ん張る事で筋力向上を狙う。ただし麻痺等で訓練をしても筋力向上が望めず、嚥下時に舌が口蓋に届くことが難しい場合がある。その際は、上顎の義歯や可撤式のプレートの厚みをつけることで口蓋の高さは低くなり、舌が天井に届いて嚥下を容易にする「PAP舌接触補助床」の利用が選択肢となる。
咀嚼能力向上には、歯・歯列の状態を整備することと、口腔周囲筋の反射や筋力を上げることが必要だ。また咀嚼において、唾液には舌表面の味細胞の感度を増幅させる作用があり、味わいながら噛み砕く潤滑剤となり、また飲み込むための形態(食塊)にまとめるための繋ぎとなり、そして食塊をスムーズに嚥下させる役割を担う。口腔内が乾燥している場合には、食前での唾液産生を促す唾液線マッサージ(図2)や保湿ジェルの塗布によって口腔内を湿潤にして美味しく安全に食べる準備を推奨する。
嚥下機能低下では、のどに入ってきた食物・水分(自分の唾液も含む)を食道に送り込めずに、気道に誤嚥することが大きな問題となる。それは窒息や、口腔内の衛生状態が悪ければ肺炎を併発するからだ。その対応としては、まずは口腔内をきれいにケアすることが肝要だが、のど周囲の反射・筋力をトレーニングすることも必要になる。ブローイングと呼ばれるコップの水をストローでぶくぶくさせるトレーニング、仰向けで寝た状態で頭部を拳上して、自分のつま先を見た姿勢を少しこらえる頭部拳上訓練等(図3)があるが、医療介護の現場では訓練とともに機能に合わせた食物の形態を操作し、安全に嚥下できる工夫がなされている。
口腔機能発達不全症について
あきらかな摂食機能障害の原因疾患を有していない、咀嚼や嚥下、構音及び呼吸の各機能が十分に発達していない、又は獲得できていない15歳未満の小児に対して口腔機能発達不全症の診断をつけ、健全な口腔機能の獲得を指導管理することが推進されている。
診断のための【1】咀嚼嚥下機能での評価項目は、歯の萌出遅延、歯列・咬合異常など、【2】構音に関する評価項目は、構音障害、口唇閉鎖不全、口腔習癖など、【3】呼吸に関する評価項目は、口呼吸習慣、口蓋扁桃・咽頭扁桃肥大などである。
ここで考えるべきことは、幼児期からの日常生活での理想的な口腔機能や環境の育成である。そのポイントは、まずは食習慣(前歯で咬みきりその後奥歯ですり潰す食形態の工夫)、頬杖等の生活習慣の注意(態癖と呼ばれ、姿勢、咬合、歯列異常、顔貌の非対称を誘発する)、会話を通して口腔周囲筋の活性、そして健全な体力をつける事での体幹の安定に伴う鼻呼吸習慣の獲得などが考えられる。(図4)
最後に
以前帯広市の公衆衛生イベントで、今回述べさせていただいた口腔機能評価を多数の来場者に担当したことがある。80代の方々が、機能評価でかなり良い数字を出していたのに少々驚いた。健康まつりという事で、来場者は健康志向の高い人たちが多いという事も要因だが、それにしてもみなさん若々しい印象を受けた。その方たちに
「何か心がけていることはありますか?」と聞くと、
「詩吟を20年以上やっています。」
「お友達とカラオケに行ってます。」
「よく人前で話す機会があります。」などなど・・・
そこで合点が行ったことは、日常生活が知らないうちにトレーニングになっている、それも楽しく継続!という事だった。
生真面目な人ならば、必用なら!とトレーニングに前向きに取り組めるだろうが、現実はそう簡単ではない。その秘訣は、「知らないうちにやっていた!」ではないだろうか。小児期においても、生活や遊びがトレーニングにもなっているというのが、もっとも理想的な形と考える。
今回、歯科医療の立場より「健口から健康への視点」という事で、口腔機能についての考え方と取り組みについて紹介させていただいたが、今後も市民の健口へのサポートが、笑顔で安心できる健康な身体づくりに寄与することを願っている。